最も愛おしい1000日の記憶

井田典子 (394146回生の母)

  

「生活団はぜいたくな教育だったよね・・・」28才、25才、21才とすっかり大人になった3人の子どもたちが集うと、思い出話に盛り上がります。2年の休憩をはさみ足掛け10年、小田急線で梅が丘に通った日々は、私にとってもかけがえのない宝物です。

 

 やっと授かった長男を期待まみれで育てていた当時、いきなり最初の父母会で指導者に言われました。

「井田さん(長男)は、お家ではとってもいい子だと思いますが、ここでは解き放たれていますよ」

生活団の父母会は、お世辞も遠慮もなくただ子どものために真実を語り合う場です。えっ、まさか?ショックでしたが、次の見学の時に唖然としました。なんとうちの子は、新品のトレーナーの首の所から両手を出してふざけていました。椅子をガタゴトならしたり、話も聞かないで隣の女の子にちょっかいを出しています。叱ることもできなくて私は煮えくり返る思いでした。お迎えの時に問い詰めると、「だっておもしろかったんだもん」と言いました。ふだん私の前では叱られるから我慢していただけで、あれが彼の本当の姿だったのです。

 

生活団では指導者が頭ごなしに叱ったりしません。自分勝手な行動をしたら、組の中でどう迷惑をかけるか、子ども自身が気づく時を実に辛抱強く待ってくださるのです。当時30代の私にとって、口出し手出しをしないで「待つ」というのは一番苦手なことでした。

 

 心の柔らかい子どもと違って、私のせっかちはなかなか変われませんでしたが、二人目、三人目と通ううちに、少しずつ子ども自身が力を出せるよう見守ることができるようになりました。たとえば靴ひもに手間取る子どもに代わって、大人がさっと結んでしまうのは簡単なことですが、それでは子どもに何の成長もありません。忙しい朝、5分玄関で待つ時間をつくるためにはどうすればいいか、そんな一つ一つが私の勉強につながりました。

 

 創始者の羽仁もと子は「生活即教育」という著作の中で「子どもを教育するものは、自覚的生活環境ただそれ自身だ」と書いています。大人が子どもを一方的に教育するのではなく、子どもが自ら教育できるような生活環境をつくることこそ、大人の役目と知りました。教育という言葉の語源はeducare(ラテン語で引き出すの意)なのですね。

 

そのころから、できるだけ家の中をシンプルにして、子どもが今励んでいることに集中できるようにしたいと思うようになり、モノの一定量を定位置に置く習慣がつきました。小学校に上がる前の3年間、幼児生活団を心から信頼して家族が同じ方向を向いて過ごすことができて、本当に濃密で幸せな1000日だったと思います。何人産んでも通うつもりでした! 


 在団生のお母様から(抜粋)  ~2016年9月紹介の会にて~

 

 私自身、ここ世田谷生活団の出身であり、長女は卒業し、次男が在籍しております。今日は、生活団の魅力についてお話しします。

 

 私が生活団の教育に触れて思うことは、幼少期より良い思考を学ばせて下さることだと思います。

生活団では、4才組の時分より、周りがどうのではなく、「あなたはどう思うのか?」「あなた自身はどうすればよかったのか?」など、事あるごとに自分で考える、ということをします。

実は、これは成長して大人になってもとても大切なことで、他に責任転嫁せず、自分の身に起きたことはあくまでも自分を軸に自分の責任として考える、ということです。

これができるかどうかは、ある意味人生の明暗を分けると言ってもよいでしょう。

どのような人でも、生きている限りは自然災害を含め、様々な一見不都合と思えることが起きます。

でもそこで、周りがああだから、こうだから、というのではなく、さあ自分はどうする?どうこの事態を乗り越える?という、冷静かつ前向きに考える癖が備わっていれば、その時点で物事の何割かはすでに解決していると言えるのではないでしょうか。

 

 今日、ここに来られた方々の中には「生活団に子供を通わせるのはとても大変なのではないか、自分の仕事ができなくなるのではないか」などの不安を抱えておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 私は一般の幼稚園と生活団の違いは、仮に子育てが10の力が必要だとすると、生活団に通わせた場合、3年間でこのうちの8を使い、残りの2をその後の子育てに使う。つまり、生活団の時には集中して、手間暇をかけるのが大変のように思われますが、その後はほとんど手を引いているように思われます。どこの時点で手間暇をかけるのかの違いだと思います。

 私の母は専門職で、私が生まれたときは小児科のベビールームと個人宅に、二重の保育を頼み働きました。しかし、どうしても幼児期は自分で育てたいと願い退職し、私と妹を生活団に通わせました。

私たちを卒団させると再び仕事に専念し、母はその後もほとんど私たちに手をかけることなく、小学校に入ると自分で選択して自分で人生を切り開くことを求め、仕事に専念しております。同級のお母さまたちも、その後様々な分野で活躍されています。

 

長女を卒業させてみてよかったことは、一つ目はここで自立させていただいたことです。二つ目は継続する力をつけさせていただいたことです。三つ目は観察する力をつけていただいたことです。

 

 皆様の選択のご参考になりましたら嬉しいです。


在団生のお父様から(抜粋) ~2016年9月紹介の会にて~

 

 日頃、私が生活団を訪れる機会はほとんどありませんが、10月に行われている運動会には毎年参加しております。その運動会でしている生活団ならではの競技での話です。

どのような競技かといいますと、子ども達が就学前に習得しておきたい、手を使って行う作業や運動、例えば「鞄のボタンをきちんとかけられるようになる」とか、「紐をしっかりと結べるようになる」とか、縄跳びですと「連続5回跳べるようになる」など、子ども達がそれまでに取り組んできた課題がいくつか並べられておりまして、それらを順にクリアしながら先へ進むという競技です。一つ一つを確実にクリアしないと先へと進むことはできません。例えば「縄跳び5回連続跳び」では、4回目に足を引っ掛けてしまった場合も、最初からやり直しです。5回連続で跳べるまで、何度でもやり直しです。

先生方はほかの子ども達が皆ゴールした後でも、その子ができるまで10分でも20分でも待ち続けておられます。初めてそのような状況を目の当たりにしたときは、正直びっくりしました。

 でもきっと、先生方には、「たとえどんなに時間がかかっても最後まであきらめずに自分の力でやりぬく人になってもらいたい」そしてまた、「自力でやり遂げたという達成感を、是非とも経験してほしい」という強いお気持ちがおありなんだと私は思いました。それはまた、先生方が「子ども達のもともと持っている力というものを信じておられる」からこそできることなんだ、とも思いました。

 

 先日のリオデジャネイロオリンピックのシンクロナイズドスイミングで、日本に2つのメダルをもたらした、あの井村コーチが次のような趣旨の話をしておられました。「オリンピックでメダルを取ることは最終的な目的(=ゴール)ではない。目標を達成したという経験をすることこそが大事であって、この経験が彼女たち(=教え子たち)の今後の人生に、必ず役に立つことになる」と。

 私は、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、生活団の運動会で垣間見たあの光景は、まさにこの話に通ずるところがあると思います。


 幼児期の教育を選んで ~2016年10月 生活団たよりから(抜粋)〜

6才組 父      

 

今3番目の娘が生活団に通っています。


 8年前、私と妻は生活団の紹介の会に来ていました。そこで一番印象に残ったのは、鳩当番に来ていた6才組の子ども達のいきいきとした姿です。鳩を飼っている、という衝撃と「鳩小屋を掃除していた」と言っていた子ども達に驚きました。生活団は、毎日通う普通の幼稚園とはずいぶん違うけれど、「鳩を飼うなんてなんだかとても面白そうだからここに入れてみよう」と思いました。

 

 鳩がきっかけで生活団に入ることを決めた私達ですが、生活団で子ども達が吸収してくることは、本当に「面白いな!」と思う事が多いのです。

 

冷水摩擦もそのひとつ。「4才になったばかりの子どもには大変じゃないかな?」と思っていましたが、娘は、毎朝、楽しそうに冷水摩擦の歌を歌いながら、体をきゅっきゅっきゅっとこすっていました。 それから7年、我が家では毎朝、冷水摩擦の歌が聞こえてきます。私達には当たり前の風景ですが、考えてみれば小さな子どもが毎日休まず朝一番に冷水摩擦をしているなんて、「本当にすごい、僕にはできない」と思ってみています。

解決できない悩みがあっても、今すぐ結果が出なくても、それでよいと思っています。今現在の子どもの姿を知る事が出来ている、家族が一緒にいて家族の時間を大切にする。寄り添いながら生きていく、そんな当たり前なことを気づかせてもらうきっかけが生活団にはあると思います。